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 二宮金次郎【尊徳】の生涯について(年表) 

 二宮金次郎【尊徳】に学ぶ ~ 報徳とは、至誠と実行である

二宮金次郎の生涯

 ●二宮尊徳(報徳思想・報徳仕法)に学ぶ
 ●至誠・勤労・分度・推譲
 ●積小為大・一円融合(一円観)
 ●心田開発・天道人道論
 ●道徳経済一元論(道徳と経済の融合)

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■二宮金次郎に人生を学び、尊徳に経営を学ぶ。「サイト内容一覧」

 ●二宮金次郎【尊徳】の生涯について(年表)
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☆二宮金次郎【尊徳】の生涯について(年表)

■二宮金次郎 / 二宮尊徳の一生(1歳~19歳)

             (年齢表記は江戸時代に行われていた数え年による)


 ●天明7年(1787) 1歳

  相模国足柄上郡栢山村(現神奈川県小田原市栢山)に
  二宮金次郎(本名は金治郎)が生まれる。(旧暦7月23日・新暦9月4日)
  父は、利右衛門(35歳)ー 「栢山の善人」と呼ばれる。
 (お人好しで、困っている人にお金を恵んであげたりしたことから)
  母は、よし(21歳)
  生家は、中の上程度の裕福な農家。(2町3反歩余りの田畑を有する)
 (祖父 銀右衛門は働き者だった)

 ●寛政2年(1790) 4歳

  弟の友吉(常五郎・三郎左衛門)が生まれる。(8月28日)

 ●寛政3年(1791) 5歳

  暴風雨による洪水で酒匂川の堤防(坂口堤)が決壊し、
  栢山一帯が濁流にのまれ、自家の大半の田畑を流される。

 ●寛政9年(1797) 11歳

  父 利右衛門が、洪水後の荒れ地の開墾や復旧作業による
  過労のため病床につくが、医師村田道仙にかかって治る。

 ●寛政10年(1798) 12歳

  父の利右衛門が、再び病床につく。

  父に代わって酒匂川の堤防普請を手伝う。半人前の仕事しかできないことを
  気に病み、草鞋を編んで村の人々に提供する。

 ●寛政11年(1799) 13歳

  松苗売りから松苗を買い、酒匂川の土手に植える。

  村民から「土手坊主」とよばれる。

  弟の富次郎が生まれる。(12月31日)

 ●寛政12年(1800) 14歳

  父の利右衛門が死去(48歳) ・友吉11歳・富次郎2歳

  一家再興のため、それまで以上に働く。
  毎朝未明に起き、山で薪をとり、町でそれを売る。(十数キロの道のり)
 (このときの働く様子が有名な二宮金次郎像となったといわれる。
  また、「大学」などの書物を読み、その一節を暗誦する姿を見た人々から
 「キ印の金さん」とあだ名される)

 ●享和2年(1802) 16歳

  正月、太神楽が来てもご祝儀が払えず、居留守をつかうほどの困窮状態。

  母 よしの実父の葬式に行ったが、その身なりのみすぼらしさから
  焼香を断られるなどのひどい扱いを受ける。

  この扱いを受けた母 よしは、帰宅後病床につく。

  その10日後、母 よしが死去。(36歳)

  金次郎は、弟の友吉と富次郎を食べさせるため必死で働き、残った田圃に
  田植えを完了させた。

  その直後、またも酒匂川が氾濫し、すべて流され万策尽きる。

  一家離散状態となり、金次郎は、伯父 万兵衛(父 利右衛門の兄)
  に預けられる。(万兵衛の家は、生家の隣にあったのでいつも見える
  ところに実家があった)

  弟の友吉と富次郎は、母よしの実家(曽我別所村・小田原市)に預けられる。

 ●享和3年(1803) 17歳

  金次郎は一生懸命働く(朝は早く起き、田を耕し、薪をとり、芝を刈り、
  堤防の普請工事を手伝い、夜は縄をない、むしろを織り、草鞋を作った)

  捨苗を拾い集め、それを荒地となった田圃の一角に植えることで、
  米一俵を手にすることができた。「積小為大」の大切さに気付く。

  雨や雪で農作業ができないときに納屋で杵と臼を使って米をつく作業を
  していた。
  この作業の際、臼の周りをまわって書物を読んでいた。
  この様子を見た人から、「ぐるり一遍」とあだ名された。

 ●文化元年(1804) 18歳

  大体この頃、身長6尺(約180センチ)・体重25貫(約90キロ)だった。

  伯父 万兵衛の家を出る。

  栢山村の名主 岡部伊助のところに奉公に行く。
  これに並行して、荒地となった自分の田圃の整地を進める。 

 ●文化2年(1805) 19歳

  名主の二宮七左衛門のところに奉公に行く。

  給金がある程度貯まると村の困っている人に恵んであげたり、
  無利息でお金を貸したりした。⇒ 「推譲」の思想のあらわれ



■二宮金次郎 / 二宮尊徳の一生(20歳~歳)

 ●文化3年(1806) 20歳

  生家(廃屋と化した空家)に戻り一家の再興に着手する。

  以前、父所有だった田畑を少しずつ買い戻してゆく。

 ●文化4年(1807) 21歳

  小田原藩士 岩瀬佐兵衛に日雇いで雇われる。

  弟 富次郎が死去。(9歳) 悲しみにくれる。

  より一層勤勉に働く。(年貢のかからない荒地【荒蕪地】を開墾する。)

 ●文化7年(1810) 24歳

  ついに生家を復興させる。(村で中流程度の自作農となる)

  江戸見物・伊勢参り・富士山登拝・京都・奈良・大阪などを旅行する。

 ●文化9年(1812) 26歳

  小田原藩家老 服部十郎兵衛の若党(奉公人)となる。

 ●文化11年(1814) 28歳

  弟 友吉が生家に戻る。

 ●文化12年(1815) 29歳

  金次郎も生家に戻る。

  服部家「御家政御取直趣法帳」を作成

 ●文化13年(1816) 30歳

  弟 友吉(常五郎)が伯父 万兵衛の本家三郎左衛門の養子となる。

 ●文化14年(1817) 31歳

  中島きの(19歳)と結婚する。(3月28日)

 ●文政元年(1818) 32歳

  服部家の家政整理(財政立て直し)を開始する。

  小田原藩主 大久保忠真から「耕作出精人」として表彰される。
 「その身はもちろん、村の為のもなり」という言葉から「自他振替」に気付く。 

 ●文政2年(1819) 33歳

  長男徳太郎が生まれる(1月18日)も、2月2日に亡くなる。

  仕事に忙殺される金次郎とは家風が合わないとして、
  妻 きのから離縁を申し出る。

 ●文政3年(1820) 34歳

  岡田なみと再婚する。(16歳)・・・金次郎の離縁に責任を感じた
  服部家の紹介による。

 ●文政4年(1821) 35歳

 「名主役格」に取り立てられる。

  長男 徳太郎(尊行)が生まれる。(9月25日)

  

 ●文化9年(1812) 26歳

 ●文化9年(1812) 26歳 

 ●文化9年(1812) 26歳 



■二宮金次郎 / 二宮尊徳の一生(歳~歳)

 ●文政6年(1823) 37歳

  自分の田畑や家財一切を処分し、手にしたお金を桜町復興のための
  土台金にあてた。

  一家をあげて桜町に移住する。
 (道中、鎌倉や江の島を見物するなど、家族サービスをおこなう) 

 ●文政7年(1824) 38歳

  長女 ふみが生まれる。(7月10日)

  村において「芋こじ」をおこなう。

 ●文政9年(1826) 40歳

  組徒格(組抜き格)に昇進し、陣屋主席となる。 

 ●文政10年(1827) 41歳

  小田原藩から豊田正作という役人が赴任。
  「刀にかけても二宮の仕法を叩き潰してみせる」と様々な妨害を行う。

 ●文政12年(1829) 43歳 

  正月に、江戸に向かった後、行方が分からなくなる。

  3月、成田山新勝寺に参籠し、21日間の断食祈誓を行う。

 ●天保2年(1831) 45歳

  桜町領第一期仕法の完了を大久保忠真に報告。「以徳報徳」の言葉を頂く。 



■二宮金次郎 / 二宮尊徳の一生(歳~歳)

 ●天保4年(1833) 47歳

  青木村桜川の堰の普請を行う。

  凶作を予知して対策を講じる。(初夏に食べたナスが秋ナスの味がした)

 ●天保5年(1834) 48歳

 「徒士格」に昇進する。

 「三才報徳金毛録」を著す。ここからの撰文を「報徳訓」という。

 ●天保6年(1835) 49歳

  細川家(谷田部・茂木)の仕法を開始する。

 ●天保7年(1836) 50歳

  天候不順により、諸国で大凶作となる。(天保の大ききん)

  烏山藩の飢民救済を行う。(救急仕法)

 ●天保8年(1837) 51歳

  小田原藩の飢民救済を行う。(救急仕法)

  小田原藩主 大久保忠真が死去(3月9日)

 ●天保9年(1838) 52歳

  相模国片岡村の仕法を開始する。

  常陸国下館藩の仕法を開始する。

 ●天保10年(1839) 53歳

  6月、相馬藩士 富田久助(高慶)が金次郎に入門を願い出るが門前払い。
  9月にようやく面会を許され弟子となる。

 ●天保13年(1842) 56歳

  幕臣「御普請役格」に登用される。

  この頃から「尊徳」を名乗り始める。

 ●天保14年(1843) 57歳

 「御勘定所付御料所陣屋手付」を幕府から受命する。



■二宮金次郎 / 二宮尊徳の一生(歳~歳)

 ●弘化元年(1844) 58歳

 「日光御神領村々荒地起返方見込」を幕府から受命する。 

  日光神領仕法雛形「富国方法書」の作成に着手する。

 ●弘化2年(1845) 59歳

  江戸の大火により、道具類や作成中の一部書類が焼失した。
  幸い重要書類はなんとか持ち出すことができた。

  斉藤粂之助(高行)・大沢政吉(福住正兄)が入門する。 

 ●弘化3年(1846) 60歳

  日光神領仕法雛形「富国方法書」が完成。 84冊中60冊を幕府に献上する。

  小田原藩の仕法が廃止された。「仕法は畳にいたす」

 ●嘉永元年(1848) 62歳

  桜町から東郷陣屋に一家で移る。

 ●嘉永3年(1850) 64歳

  大沢政吉(福住正兄)が福住家の養子に入り箱根湯本へ。 

 ●嘉永5年(1852) 66歳

  長男 弥太郎(尊行)(37歳)と こう(17歳)が結婚

  長女 ふみ(29歳)と 富田高慶(39歳)が結婚

 ●嘉永6年(1853) 67歳

  日光神領開発事業の開始を命じられる。(日光奉行所手付に任命される)

  病に倒れる。

  長女 ふみが死産。 産後の肥立ちが悪く死去(30歳)

 ●嘉永7年(1854) 68歳

  長男 弥太郎(尊行)が「御普請役格見習」に任命される。

 ●安政元年(1854) 68歳

  岡田良一郎が入門。

 ●安政2年(1855) 69歳

  弥太郎(尊行)の妻こうが長男の金之丞(尊親)を出産

 ●安政3年(1856) 70歳

 「御普請役」に取り立てられる。(2月23日)

  今市にて永眠(10月20日)



●手本は二宮金次郎。

◆二宮金次郎に人生を学び、二宮尊徳に経営を学ぶ。

 ■報徳訓  「三才報徳金毛録」からの撰文

  ⇒ 二宮尊徳の息子である弥太郎(尊行)が平易な言葉に書き換えて
    世間に流布したもの

父母の根元は天地の令命に在り  身体の根元は父母の生育に在り  子孫の相続は夫婦の丹精に在り
父母の富貴は祖先の勤功に在り  吾身の富貴は父母の積善に在り  子孫の富貴は自己の勤労に在り
身命の長養は衣食住の三つに在り  衣食住の三つは田畑山林に在り  田畑山林は人民の勤耕に在り
今年の衣食は昨年の産業に在り  来年の衣食は今年の艱難に在り  年年歳歳報徳を忘るべからず 父母根元在天地令命  身体根元在父母生育  子孫相続在夫婦丹精
父母富貴在祖先勤功  吾身富貴在父母積善  子孫富貴在自己勤労
身命長養在衣食住三  衣食在三在田畑山林  田畑山林在人民勤耕
今年衣食在昨年産業  来年衣食在今年艱難  年々歳々不可忘報徳 



 「二宮金次郎」(にのみやきんじろう)
 1.(しば)刈り縄ない 草鞋(わらじ)をつくり、
   親の手を()け (おとと)を世話し、
   兄弟仲よく孝行つくす、
   手本は二宮金次郎。
 2.骨身を(おし)まず 仕事をはげみ、
   夜なべ済まして 手習(てならい)読書、
   せわしい中にも (たゆ)まず学ぶ、
   手本は二宮金次郎。
 3.家業大事に (ついえ)をはぶき、
   少しの物をも 粗末にせずに、
   遂には身を立て 人をもすくう、
   手本は二宮金次郎。
               「尋常小学唱歌 第二学年用」(明治44年)



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            アインシュタイン



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行政書士  関目 健

奈良県生まれ・大阪府出身

中央大学法学部法律学科卒業

日本行政書士会連合会
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北海道行政書士会
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